ベルサイユのばら、についての解説 「男装の麗人」の死 松本侑子 一部抜粋
オスカルは男ではない。男の格好をし、男言葉を話し、男のようにふるまっているが、あくまでも女だ。だから、女性読者は、親近感を持ち、自分を重ねることもできる。 たとえば、フェルゼンへの報われぬ恋に悩むオスカルに、うまくいかない恋をしている女性は共感し、自己陶酔するだろう。 また、アンドレに恋い慕われるオスカルに、多くの女性はうっとりする。男から一途に愛され、激しく求められ、命をかけて守られるオスカルに、女の願望はくすぐられる。 つまりオスカルは、普通の女にはできないことを可能にした女であると同時に、女ならではの愛される喜びも一身に背負っている。 また女でありながら、女の性や肉体の生々しさを持たない。体つきは、あくまでもほっそりしていて、中世的だ。かっちりした軍服に身をつつみ、走っても跳んでも、乳房はゆれない。マリー・アントワネットは死の監獄で大出血するが、オスカルは女でありながら、女の肉体を持たない。男のアンドレと同じ体つきをしていて、絵だけを一見すると、美少年同士の同性愛をも連想させる。 かといって、野蛮な男臭さもなく、オスカルは、女があこがれる男の凛々しさ、涼やかさに満ちている。 つまり彼女は、この社会において否定的で受動的な意味を持たされがちな女のセクシュアリティからも、野蛮な男臭さからも、解放されている。 オスカルは、「男らしさ」「女らしさ」という造られたジェンダーの利点だけを組み合わせている。それが魅力なのだ。 セクシュアリティ・・・・何を性の対象に選ぶか、性に関連する行動、傾向の総称。 ジェンダー・・・・先天的、身体的、生物学的性別を示すセックスに対して後天的、社会的、文化的性別の事をジェンダーという。
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2004年8月17日(火)
No.12
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